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嗚咽が吐き気という間違いが多いらしい
嗚咽が吐き気だと思っている人がいるらしい。
いやいやいや、嗚咽は咽び泣くことですから。
この写真で嗚咽だったら間違いですから。
どうしてそんなことになるんだろう?
かなり不思議なんです。
おえつ、という語感が、おえっ、となる吐き気と似ているからそういうふうになったんでしょうけど、漢字を見れば、嗚咽って、鳴くって言う字だし、咽は喉、のことだから、喉が鳴くと書いて嗚咽なわけで、これで吐き気にはならないと思うんですが。
そして、もしかすると実生活で嗚咽をすることがないのかも、というかそういうシーンがないのかも、と思うわけです。
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そして、驚いたことに、嗚咽が走る、という間違いをする人もいるそうです。
いやいやいや、それはもっとおかしいだろ。
悪寒が走る、と取り違えたのかなと思いますが、嗚咽は走らないぞと。だいたい、「おかん」と「おえつ」だったら「お」しかあってないじゃないか。
なんでこんな間違いをするんだろうか?
不思議で仕方がないわけです。
[ad#ad]嗚咽が吐き気という間違いが多いとか、嗚咽が走るとかになる理由は?
推測なんですが、こんな間違いをするというのは、現代人が身体に関する慣用句に鈍感になったからなんじゃないかと思います。それは結局、体に対して鈍感になっているということ。
今の世の中、暑さ寒さはエアコンの効いた部屋でやり過ごすので、昔の人のように体感として暑い寒いということはなくなりました。自分で体温を調整しなくてもいいような環境になっているわけです。
つらい仕事は機械がするし、家事だって廊下は人間が雑巾掛けしなくても、ルンバが掃除してくれます。
洗濯は全自動洗濯機が、食器は食器洗い機が、やってくれます。
感情を動かす出来事はテレビや映画、読書、今ならゲーム、スマホ、であって、現実に自分の身の回りで起こっていることではなくなっています。
そもそも、日常生活でそんなに感情が動くような出来事はそんなにありません。
毎日感動的な生活、とかちょっとおかしいわけで。
毎日悲しみに暮れる生活というのもそんな生活だったら身体がおかしくなるのでどこかで感情がストップするでしょうけど。
自分の身の回りではまずは事件は起こらないわけで、そういうのはだいたいテレビの向こうのお話なわけで。
身の回りで発生している色んなことをないがしろにしているから、身体にまつわる言葉が理解できなくなっているのではないのかなと。
メディアで流行る言葉は覚えても、本来自分に近い部分で出てこなければいけない言葉が使えない。
そんなふうになっている気がするわけです。
それにしても。
むせび泣き、なんて最近見たことがありません。
悲しみをこらえてそれでも声が出てしまうというようなシーンを身近で見ることが殆ど無いです。
自分の肉親が死んだとしても、惜しい人をなくしたと言うよりは、ようやく死んだか、というような状況になることのほうがおおいからでしょうか。
長生きしすぎて、もう十分ですよね、と言われている人が増えたからなんでしょうか。
競争に負けて悔しくて泣く、ということが減ったからでしょうか。
頑張らなくてもだいたいのものが手に入る社会になって、そういう気持ちになることが減ったからでしょうか。
それはいいことなのかもしれませんが、ほんとうにそれでいいのか、というのは考えさせられるところだと思うわけです。
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