スポンサーリンク

阿鼻叫喚 読み方と意味や由来

たとえば大災害が起こった時とか、戦争やってるところとかの状況を見て、阿鼻叫喚の地獄絵図、なんて言ったりしますけど。

そもそも阿鼻叫喚ってなんなんでしょうか?

ちょっと気になったので調べてみます。

[ad#ad]

阿鼻叫喚 読み方と意味

まず読み方。「あびきょうかん」だそうです。

意味は、

仏語。阿鼻地獄と叫喚地獄とを合わせた語。地獄のさまざまの責め苦にあって泣き叫ぶようすにいう。
悲惨な状況に陥り、混乱して泣き叫ぶこと。「一瞬の事故で車中は阿鼻叫喚の巷(ちまた)と化す」

ということです。

悲惨な状況になって泣き叫ぶこと、というわけですね。

ちなみに「阿鼻」は阿鼻はサンスクリット語「avici」の音写「阿鼻旨」の略で、「無間(ひっきりなしであることの意)」と漢訳する。 「阿鼻地獄」や「無間地獄」と呼ばれる。

なんだそうです。

この言葉そんなに安易に使っていい言葉ではないように思います。何しろ地獄の最下層のことですから。

阿鼻叫喚の由来

由来は仏教の八大地獄の最下層の阿鼻地獄、または阿鼻地獄と4番目の階層の叫喚地獄を合わせたものということだそうです。

阿鼻地獄という地獄で泣き叫んでいるということになるんですが、この阿鼻地獄というのが酷いところです。およそ人間の考えつく最悪な状態なんだろうと思います。

たとえばウィキペディアによるとこんな感じです。

==ここから==

地獄の最下層に位置する。大きさは前の7つの地獄よりも大きく、縦横高さそれぞれ2万由旬(8万由旬とする説もある)。最下層ゆえ、この地獄に到達するには、真っ逆さまに(自由落下速度で)落ち続けて2000年、かかるという。前の七大地獄並びに別処の一切の諸苦を以て一分として、大阿鼻地獄の苦、1000倍もあるという。剣樹、刀山、湯などの苦しみを絶え間(寸分・刹那)なく受ける。背丈が4由旬、64の目を持ち火を吐く奇怪な鬼がいる。舌を抜き出されて100本の釘を打たれ、毒や火を吐く虫や大蛇に責めさいなまれ、熱鉄の山を上り下りさせられる。これまでの7つの地獄でさえ、この無間地獄に比べれば夢のような幸福であるという。

この地獄における寿命は、人間界の6400歳を一日一夜とした場合の6万4000歳を一日一夜として6万4000歳であり、人間界の時間では349京2413兆4400億年に当たる。また、この期間を一中劫とも呼ぶ。

この一中劫の長さに関する説明としては、「この人寿無量歳なりしが100年に一寿を減じ、また100年に一寿を減ずるほどに、人寿10歳の時に減ずるを一減という。また10歳より100年に一寿を増し、また100年に一寿を増する程に、8万歳に増するを一増という。この一増一減の程を小劫として、20の増減を一中劫という」とする表現もあり、これも人間界の年月に換算すると349京2413兆4400億年になる(1年を365日とした場合)。

また、一説によると、この地獄における寿命は、人間界の8000歳を一日一夜とした場合の8万歳を一日一夜として8万歳とも言われ、この場合は人間界の時間で682京1120兆年に相当する計算になる。いずれにせよ、この地獄に落ちた者は気が遠くなるほどの長い年月にわたって、およそ人間の想像を絶する最大の苦しみを休みなく受け続けなければならない。

この他、一中劫の長さを表す喩えとしては、「縦横高さがそれぞれ一由旬の巨大な正方形の石を、100年に一度ずつ柔らかな木綿の布で軽く払い、その繰り返しで石がすり減って完全になくなるまでの時間である」とか、「縦横高さがそれぞれ一由旬の巨大な城にケシ粒がぎっしり詰まっており、その中から100年に一粒ずつケシ粒を取り出していって、城の中のケシ粒が完全になくなるまでの時間である」などとも言われる。この地獄に堕ちたる者は、これほど久しく無間地獄に住して大苦を受くという。

==ここまで==

となっています。

別名、無間地獄、なんだそうで、「間が無い」常に苦しめ続けられている場所ということですね。

それにしてもこの地獄に関する解説を読んでいるとよくもまあこんなにひどい事を考えつくものだというほど酷い責め苦が次々と書かれています。

死んだ後ですから肉体なんかないんですけど、泣き叫ぶ痛みが体中をおそい、そして死んだと思ったら復活してまた責め苦を受けるということなんですよね~

こんなのには耐えられませんから、悪いことはするな、いいことをせよ、という話になるんでしょう。

[ad#ad]

阿鼻叫喚は心の中?

ここからは自分の感想なんですが、阿鼻叫喚は実は人間の心の中ではないかと思っています。

自分がなにか道徳的に悪いことをしたとして、その罪を償うことも出来ず恨まれていたり、自分で自分を許せなかった時に、常に「あのとき私はなぜあんなことをしたんだろうか、なぜこのようにしてあげられなかったんだろうか」と自分で自分を責め続けてしまうわけです。

普通の人ならある程度そういうことで悩んだら、どこかで踏ん切りをつけて「なったものは仕方がない」とか言う話になるんですが、妙に正義感が強かったり真理の探求なんてやってたりすると、心のなかで常に地獄の業火が燃え続けてしまうわけで、その人は本当に地獄の人生を送ることになってしまいます。

それが本人だけならいいのですが周りを巻き込んだりすると大変迷惑。

そんな人の社会的地位が高かったりすると面倒くさいことこの上ない。一人で悩むだけならまだしも他人を巻き込みますから。地獄を撒き散らさないでくれと思ってしまいます。

いずれにしてもこういう例え話ではありますが、これは人の心の中じゃないのかと思うわけです。

人の心の中ならその人の考え方や感じ方が変われば地獄はすぐに天国に変わるわけで、本来の宗教はそういうことで思い悩む人に手を差し伸べるものだったんじゃないかと思うんですがどんなもんなんでしょうかね。

自分はただのおっさんなので難しいことは分かりませんし、実際に阿鼻叫喚に中にいる人に手を差し伸べることもできないでしょう。

しかし、それはただの心の有り様なだけですよ、と言うことは出来そうです。

[ad#ad]

タイトルとURLをコピーしました