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c タイトル:ブラックジャックによろしく 著作者名: 佐藤秀峰
千日回峰って知ってますか?
自分は名前だけは聞いたことがあります。
ものすごく過酷な行だと。
ウィキペディアによると、
千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)とは、滋賀県と京都府にまたがる比叡山山内で行われる、天台宗の回峰行の1つ。満行者は「北嶺大行満大阿闍梨」と呼ばれる。
「千日」と言われているが、実際に歩くのは「975日」で、残りの「25日」は「一生をかけて修行しなさい」という意味である。
ということだそうです。
そして戦後達成できたのはたったの14人。その名前は以下の通りです。
千日回峰行 達成者 名前一覧
※年月日は満行日
1940年10月、箱崎文応
1946年9月19日、叡南祖賢(38人目、戦後1人目)
1953年9月18日、葉上照澄(39人目、戦後2人目)
勧修寺信忍(40人目、戦後3人目)
1960年、叡南覚照(41人目、戦後4人目)
小林栄茂(42人目、戦後5人目)
1962年、宮本一乗(43人目、戦後6人目)
1970年、光永澄道(44人目、戦後7人目)
1979年、叡南俊照(45人目、戦後8人目)
1990年、光永覚道(47人目、戦後10人目)
1994年10月18日、上原行照(48人目、戦後11人目)
2003年9月18日、藤波源信(49人目、戦後12人目)
2009年9月18日、光永圓道(50人目、戦後13人目)
2017年9月18日、釜堀浩元 (51人目、戦後14人目)
二千千日回峰行者
1918年、奥野順玄
1980年10月、1987年7月、酒井雄哉(46人目、戦後9人目)
つい最近釜堀浩元という人が達成したということのようですね。
この千日回峰の具体的なやり方は次の通りだそうです。
修行をする行者は無動寺谷で勤行のあと、深夜二時に出発。真言を唱えながら東塔、西塔、横川、日吉大社と二百六十箇所で礼拝しながら、約30キロを平均6時間で巡拝する。
1〜3年目は年100日、4〜5年目が年200日の修行となる。
5年700日の回峰を満行すると「堂入り」が行なわれる。
入堂前には行者は生き葬式を行ない、無動寺谷明王堂で足かけ9日間(丸7日半ほど)にわたる断食・断水・断眠・断臥の行に入る。
6年目はこれまでの行程に京都の赤山禅院への往復が加わり、1日約60キロの行程を100日続ける。7年目は200日ではじめの100日は全行程84キロにおよぶ京都大回りで、後半100日は比叡山中30キロの行程に戻る。
自分はこれは本当にすごい修行だと思うんですけどどうでしょう?
山道の30kmを参拝しながら平均6時間で巡拝する、というだけでも自分には全く無理ですが、これを1年に100日とか200日とかやるわけです。
5年目には9日間の断食・断水・断眠・断臥。
出来なければ自殺しなければいけない。
実際に亡くなった人も2人いるんだとか。
もちろんこれは荒行ですから誰でも出来るわけじゃない。
そもそも修行をはじめて10年くらいたたないと山を歩くことさえ許されないんだそうです。
しかも千日回峰の七年が終わった後も五年修行があるんだとか。
全部終わるまでに22年もかかるということだそうです。
普通の感覚だとやってられないと思います。
それにしても千日回峰、文字で書けば単純で山道を歩き回るだけではあるんですが、この山道を30kmを年100日間とかというその量に圧倒されます。
すごいとしか言いようがありません。
修行は歩き回ると書きましたが、実際には走り回る、という方が正しいんでしょう。
何しろ参拝しながらですからね。
マラソン選手なんかだったら出来るのかもしれませんが、普通の人にはとても無理です。
しかも、こんな荒行を2回もやった人がいるというから驚きしかありません。
千日回峰行 達成者 酒井大阿闍梨
このなかに酒井大阿闍梨がいます。
二千日回峰行を達成していますね。
最近亡くなりましたが、著書を読んでみると修行をしてみても「なんにもなかった」と書かれていました。
なんにもなくてそれで良いんだと。
自分は何かすれば何かを得たい、神頼みでも5円賽銭投げて1億円の宝くじが当たってほしいとか思うんですが、そうじゃないってことなんですよね。
修行した人の言葉だから重いんだと思います。
いかがでしょうか?
自分はこういう人を見ると世の中には本当にすごい人がいるものだと思うんです。